第二次世界大戦中の暗号戦争について知りたく、本を読みました。
今日読んだのは、「暗号を盗んだ男たち」という本です。
檜山良昭「暗号を盗んだ男たち 人物・日本陸軍暗号史」光文社NF文庫 ISBN4-7698-2035-6 (定価602円+税)
以前にサイモン・シンの「暗号解読」(上巻・下巻)を読んだことがあります。この本には、紀元前から現代のコンピュータに至る暗号史のほか、第二次世界大戦中のドイツのエニグマ暗号機や、イギリスの天才数学者アラン・チューリングについて詳しい話が記述されています。暗号をめぐり、暗号の作成と解読がせめぎ合う歴史が面白く書かれており、非常に興味深かったのです。しかしながら、日本の暗号がどうたったのかという点については分からず、旧日本軍や外務省の使っていた暗号と、その強度について知りたいと思いました。そこで探して読んだのが冒頭の「暗号を盗んだ男たち」という本なわけです。
太平洋戦争当時の日本の暗号は、大きく分けて「外務省」「陸軍」「海軍」の3つに分類されるようです。本書が取り扱っているのは主に「陸軍」についての話です。(ですので、「外務省」や「海軍」については別の本を探す必要があります。)そして、「外務省」「海軍」と「陸軍」で大きく異なるのは、陸軍の暗号強度は高く、アメリカ軍に完全解読されぬまま終戦を迎えたという点にあります(※1)。海軍の暗号は戦争が始まり一年程度で破られ、外務省に至っては海軍よりもさらに簡単な暗号しか使っていなかったと言われています。(※1:1993年の本書の記述から。インターネット上を検索してみたところ、実際には陸軍の暗号も解読されていた?という話や、1996年に米国機密文書が機密解除され解読されていた事実が判明したとの情報がありました。)
私は大日本帝国時代の暗号というのは、きっと軽視されており、ずさんな暗号しかなかったのだろうと思っていました。また、英国のように偉大な数学者を活用し、科学的に暗号を設計するという思想なんてなかったのだろうと考えていました。しかし、本書を読んでその考えが覆されました。日本も、陸軍に関しては、優秀な数学者を集めて暗号の研究を行っていたのです。
……ただし海軍と外務省の暗号は弱いものでした。特に外務省の暗号が弱かったと言われており、どうしてそんな体制のままだったのかについて、詳しく知りたいと思いました。本書では海軍や外務省については詳細はありませんが、陸軍暗号よりも海軍や外務省についての本は多く出版されているようなので、読むには困らなさそうです。
本を読んで興味深かった点をリスト化:
- 大正13年(1924年)当時は日本の暗号は大きく立ち遅れていた。陸軍はポーランドからヤン・コワレフスキー大尉を招聘し、講義を依頼した。このとき、陸軍は海軍にも話を持ちかけ、海軍からも講義を受講したという(本書31ページ)。
- ⇒感想:海軍・陸軍とそれぞれで暗号業務があり(当時は電信課が行っていて暗号という業務はまだないが)、縦割り感の強い中で、相互にコミュニケーションを取ろうといていることが意外に思えた。
- ⇒132ページにも、昭和3年(1928年)ごろ陸軍と海軍が共同してアメリカ国務省のグレイ・コード(日本側はNADEDと呼称)を解読したエピソードがある。
- 昭和11年(1936年)、第七師団暗号係将校の原久将校は、乱数を使い捨てにするという無限乱数式の暗号を思いつく。(128ページ)
- ⇒現代でいうワンタイムパスワードの発想。コンピュータも満足にない時代に作るという点がすごい。
- 「乱数式暗号は組み立てにも翻訳にも、骨が折れてダメだという物が入る。訓練さえ積めば、どんな型式の暗号にもまさるとも劣らず、手早く処理できるということを見せてやるのだ」(130ページ)
- ⇒訓練により短時間で処理できるとして対処したようだ。でも実際には業務量は半端無く多く、負荷が高かった。また、海軍や外務省暗号は機械式のものだったのに対して、陸軍は機械式にすることを嫌がっていたと言われる。
- ⇒感想:第一線の暗号まで手作業でやるのは無理があると思う。トランジスタもなくコンピュータもない時代なので難しいのだが、独自に機械を開発するなど、出来なかったのかなあと思う。
- フィンランド公使館やイギリス大使館、アメリカ大使館に憲兵が忍び込み、乱数表の写真を撮影するエピソード。ゴミの中から裁断された書類を繋ぎ合わせる試みもある。フィンランドの乱数表は、カーボン紙により保護されており、写真を撮ろうにも開けると痕跡が残る工夫(カーボン紙を破らないと中が見えない)がされていた。開けた痕跡が残れば、当然その乱数表は使用されないので見た意味は無いし、暗号自体もさらに強化されてしまう恐れがある。(144ページ)
- ⇒ソーシャルエンジニアリングはハッキングの基礎。大使館へ侵入し金庫を開けるなど、諜報とはそこまで日常的にやるものなのかと驚いた。
- ⇒現代でも重要な電子部品は、物理的・機構的に分解ができないように設計されているものがある。リバースエンジニアリングのために中を開けないように、開けると物理的に部品が破壊されてしまう構造にして耐ダンパー性を持たせている。時代は違っても似たアプローチが生き続けるところが面白い。
- 暗号解読室の女性タイピストに接近し、情報をもらう(206ページ)
- ⇒いつの時代も親密になると情報が手に入る。仕事のための偽りだとしても、狙った人と親密になる能力があるってすごいこと。諜報は、常人には務まらない。
- 昭和18年(1943年)ごろから、暗号理論をいっそう発展させるための教科書づくりが始まる(226ページ)
- ⇒無限乱数が昭和11年ということを考えても、理論体系を作るのが遅すぎるように見える。
- コンピュータもない時代なので、手作業で日本語の統計情報(かなの使用頻度や、単語の使用度数)を作成した。しかし言語学者にあったところ、それらの課題は既に学者には既知のものだった。さらに統計処理ができるパンチカードを日本生命や第一生命は所有していた。もし使用できたら作業効率は大きく異なっていたはず(230ページ)
- ⇒時間の損失を考えると言語学者に先に聞いておけば、と悔やまれる。このようなすれ違いは何時の時代もあるものですね
- ベルリンへ向かう道中、シベリア鉄道内で毒入りウォッカを勧められ、死亡する話(232ページ)
- ⇒「暗号」とは関係がないけれども、「諜報」の話には、そこまでやっているのか、そんな堂々と活動しているのかと驚かされる。
- 専門の数学者の知恵を借りるべきとして、高木貞治など、日本を代表する数学者を集める(248ページ)
- ⇒イギリスがアラン・チューリングらを集めたように、日本も当然、ちゃんと、優秀な頭脳が活用できていた。
- スウェーデン製のクリプトテクニックという機械を入手し、アメリカの暗号(209暗号機)を解析する話(268ページ)
- ⇒数学的なアプローチから解析をしている。科学を用いて体系的に解析する体制があることが意外だった。旧日本軍というと、どうしても行き当たりばったりというイメージや、理性的・論理的でなく感情的・精神論的というイメージが合ったため。